嫌悪感を催すツイートの数々。

皆さんお久しぶりです。結局書くことがなければ放置してしまうんですよね、ブログ。

というか、書きたい内容に対して書くまでの労力が半端ないのが悪いと思うんです。

 

アウトプットにかかる時間と作業工程が長すぎる。

 

 

今回は、Twitterに関してのお話しです。

僕のTLにも多種多様な方々がいるんですが、

個人的に「ヤバい」と思うツイートをカテゴライズしてみました。

 

大前提として、Twitter個人間のメモ帳が誰でも閲覧できる、くらいにしか思っていません。

そもそもそういうものだと思っているので。

あくまでも今回の記事は「ぼくがかんがえているまじでやばいついーと」でしかないわけで、

もし該当していたとしても直さなくていいと思います。自分のスタンスを貫け。

 

でも該当者が僕のTLにいた場合、高確率でミュートまたはブロックしてます。

ミュート機能最近まで使ってなかったんですけど、あまりに頻繁すぎるので使用することにしました

 

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ぼくとインターネットの変遷【後編】

前後編に分けたのはいいんですけど、これもうほとんどインターネットで書くことないですね。

具体的なHNとか出したかったんですが、そもそも嫌な方も多いと思ったので今回は差し控えました。

それでは後編です。

 

 

 

 

3.東京進出、そして

就職前後にあたって、実はもうほとんどポケモンでの活動はしていませんでしたね。

このころはスマホ普及し始めくらいだったんですけど、もうTwitterでみんな交流してました。

新しいコミュニティが広がることもなく、既存のつながりの皆さんのみでしたけども。

 

就職に際し東京に進出することとなりまして、そちらでは様々な方にお世話になりました。

 

 

というのも、ネットは全国に普及しているんですが、やっぱり人口は東京に集中しているんですよね。

「ネットで知り合った知らない人と出会ってはいけない」なんていう注意もありますが、

東京時代はほんとに老若男女いろんな人と会って遊んで、飯食って飲んでた気がします。

僕の場合は僕より若い人ほとんどいなかったんですけど、土日の度に誰かしらと会ってたような、そんな記憶です。

このころは特定のゲームやコンテンツをやる、ということはなかったんですが、

基本的に協力ゲームなり流行り廃りにはみんな敏感だったので、毎日Skype窓は立ってたと思います。

 

危険な目にあったこととかはないんですけど、このころすれ違って疎遠になった人も多くいます。

僕の性格上の問題が大きいとは思うんですけどね。

ただ、やっぱりオタクは善良な方からコミュニケーションに難ありの方もいたので、

僕から距離を置いた方も少なからずいらっしゃいました。

一通り皆さんと交流したのち、九州へ戻ってくることとなります。

 

 

 

 

4.6時間32分、1003km

九州に戻ってきたころ、僕は長崎に在住していたんですが、もうこのころはほとんど毎日twitterを眺めるだけの日々でした。

特にインターネットから疎遠になることもなかったんですけど、どちらかというと同僚のオタクと仕事帰りに毎日ゲーセンに行ってましたね。

このころ「そら」名義から「Ash」名義にHNを変えました。

今でも犯人がわからないんですが、このころ僕の本名とtwitterIDを連投するだけのアカウントが出てきたのが原因なんですよね…。

僕のtwitterはもはや使い分けをあきらめた闇鍋アカウントなので、現実の友人とかにも知れてるんですが、そのあたりどっかで恨みを買ったんだろうなと。

何だったんでしょう、あれ。

 

 

そんな中、1件のお誘いが僕のところに来ます。

「結婚式に出席してくれないか」と。

これが普通の友人ならノータイムなんですけど、これがネットの友人だったんですよね。

HNは差し控えるということで冒頭にもお話ししたので、仮にCと呼称します。

 

Cとは前編のポケモン時代に知り合いまして、もう長いこと仲良くしていました。

というか多分現時点の嫁とのなれそめも僕は聞いた限りで覚えていますし、

通話をつなぎっぱなしで僕を起こす親の声でCが起きたなんてのもザラです。

周囲の面子とも仲良くさせていただいていて、4人で2泊3日で遊んだこともありました。

 

ただ、当時出席するかはかなり悩みました。まずご両親への説明もそうですけど、

僕の座るテーブルって、基本的に僕以外の知り合いがほぼいない状態なんですよね。

前述の2人とは同じテーブルだったんですが、他の面子はガチの幼馴染とかで、

正直出席する資格があるかと言われるとないんじゃなかろうかと。

 

あと新婦側になんて説明をすればいいんだと思っていました。

ノリでなんとかなる部分もあるでしょうけど、それはそれで…ねえ?

後程判明しましたが、嫁側とも僕はネットでの知り合いでした。悩んだ時間を返せ。

 

ともかく悩みましたが、出席を僕は取りまして、見出しの時間と距離をかけて式場に赴いたわけです。

 

式自体は滞りなく進み、僕の懸念も雲散霧消しました。

後日に少しだけ遊んで帰りましたが、行って良かったと思っています。

楽しかったです。

ただそのとき僕泊めてもらったところで流血したり

以前新婦の顔見ているのに一切記憶になかったり、いろいろ申し訳なかったですね…。

 

 

僕はネットの人間は「友人関係」にはなれないと思っているんですが、

もうここまでくるといろいろと超越はしてるんですよね。

僕自身も関係性をどう表現すればよいかはわかりません。

またいつか遊びに行けたら良いなと考えています。本当にみんなありがとう。

 

 

5.それから、現在

その後インターネットでの交流というか、新しいコミュニティに所属はほとんどしていません。

discordへ移行したのはどのあたりでしたっけ…。

 

というかdiscordで思い出しましたが、1つ「shadowverse」の普及に伴ってコミュニティに所属しました。

今は格闘ゲームやら流行り廃りのゲームを触るコミュニティになってるんですけど、顔を出したいときに出す、やりたいことをやる、というグループになっているので、

僕としては大変気が楽なところです。1か月くらい顔出さないときもあるんですけど。

こちらは関西・関東あたりのメンバーが多いので、オフは頻繁に行われてるんですが、

顔を出せたことはありません。

 

 

とまあ紆余曲折を経たところで、今に至ります。

僕自身思い出はもっといっぱいあるんですけど、どうしても個人名を出すことになるので、

そこだけは差し控えようかなと思います。

 

今はどうかというとアプリ「人狼殺」の流行に伴って、再度人狼ゲームを始めたんですが、

対面人狼形式のゲームにどっぷり嵌ってしまっていて、今はそちらのコミュニティとの交流ツールとして活用しています。

 

今までとは手順が逆なんですが、概ね社交的な方がやっぱり多い印象を受けますね。

僕がそういうタイプではないのかもしれませんが。

 

この記事を書いていて思ったのが、もう「ネットの知り合い」と口にしても

大仰な反応をされなくなったんだなあと。

昔はネットの知り合いとメールしてましたけど、周囲からすると奇異の目で見られてましたからね…。

おそらくコミュニケーションツールの延長としてtwitterが普及したことに端を発すると思います。

 

 

相変わらずtwitterのフォローは完全に闇鍋状態なんですが、

前の方にさかのぼるほど、その時代に仲良くしていた方やコンテンツが分かるのは何か良いですね。

 

これから所属するコミュニティなり、交流する人が増加するかどうかはわからないんですが、

僕は一期一会って言葉、嫌いじゃないのでよろしくお願い致します。

勿論今仲良くして頂いている方は、今まで通りでいられたらと。

 

 

ではまた。

ぼくとインターネットの変遷【前編】

もうインターネットの住人になって何年が立つのだろう。

世間一般で言うところの「オタク」が特別視されなくなってもう久しいが、

幼少時の自分は少なくとも同年代よりも遙かにスタートが早かったと思う。

今回は回顧録です。共感性羞恥の方にはちょっときついかもしれません。

僕が一番きついです

 

 

 

1.黎明期

義務教育も終わりに差し掛かろうとしていた年代に、僕はインターネットの扉を開けました。

当時は僕、「星のカービィ」が好きでして、入り口はそこからですね。

HP文化があったりなかったりしたので、

親父から渡された本を片手にhtmlをごっちゃごちゃな構成で打ちながら、

夏休みを潰して初めてのホームページを作りました。

 

インターネット老人会の諸兄には説明するまでもないですが、黎明期のHPにありがちな

・めっちゃ見づらい背景

キリ番

・カーソルになんかついてくる(邪魔)

・大爆音MIDI

と、当時のテンプレート通りの構成でした。

 

当初カービィクラスタ(という呼び名が正しいかどうかは別ですが)の中では、

オリジナルカービィ(オリカビ)を作成するのが流行っておりまして、

僕もその数少ないうちの1人でした。

(オリジナルのコピー能力とはまたジャンルが違うので、オタクは面倒ですね)

 

HNを「ドラカビ」と名乗っていたのもこのころです。

当時の記憶の残骸としていろいろ残っているものはあるのですが、

主にお絵かき掲示板に相互で書き込みをしあったり、

夜間にお絵かきチャットで駄弁るのが主な交流手段でした。

 

コンテンツ的には想像がつくのですが、

当時同クラスタ内の男性率は非常に少なかったです。

ほとんど女性だったと記憶しています。

著作権等もこの時代はガバガバで、SDXのドット素材なども、

「画面を見て打ち込めばセーフ」みたいな謎の風潮がありました。

(どう頑張っても任天堂の著作物なんですがね)

 

覚えている限りではそこそこの方と交流を持っていた記憶がありますが、

今でも連絡を取っている方はごく少数ですね。みなさん元気でしょうか。

当時の年賀状等も保管しているんですが、まあみんなHNで送り合ってましたね。

このころから「ネットの人に年賀状を送付する」ことに抵抗はなかったみたいです。

 

義務教育の終わりごろまで同クラスタでの活動を続けておりました。

後期には「†漆黒の騎士†」みたいなのが流行った影響もあり、

「霜月 空」と名乗って活動していました。つい最近までの「そら」名義の元です。

なんでこうなったかは覚えていないんですが、同時は時期も年代も“中二”病でしたから、

格好いい単語をさがしてできたのがこれだったと思います。

結局大学生のころまでカービィコンテンツは追っかけてはいたものの、

ネットでのメイン活動は別コンテンツへ移ることとなりました。

 

 

 

2.ニコニコ文化へ

義務教育を終えたころ、当時はポケモンがちょうど第4世代のころでして、

新しくできた友人からHGSSを勧められ、どっぷりはまることとなります。

 

このころは当時の2chのシベリア板に生息していました。

 

wikipedia:#シベリア超速報

 

当時のポケモンの第4世代は、wi-fiが普及し始めた世代ということもあり、

爆発的な勢いを誇っていました。

詳細な解説は差し控えますが、バトルシステムに大幅な改修が加えられ、

熱帯(ネット対戦)が急激に浸透した世代でもあります。

 

その頃は配信サイト等の普及も少なく、ひっそりと掲示板などでの交流がメインでしたが、

VIPが荒れていたのでシベリアを選択した気がします。

 

 

数か月経つと、インターネットでの生配信サイトへ活動の場所を移しました。

当時僕は「配信者」ではなかったのですが、様々な配信者の配信を視聴していました。

 

今ではあまり考えられないと思いますが、

休日には30前後の配信で「突発大会」なるものが行われていたのもザラで、

勉学そっちのけでバトルしていた記憶があります。

 

知り合いが増えたのもこのころです。

今でも仲良くさせていただいている人も多いと思います。これについては後程また。

 

当時は通常ではなく、「統一レギュレーション」での大会も多くあり、

所謂「統一勢」に身を置いておりました。

おそらくニコニコ生放送で配信をはじめたのもこのころだったと思います。

今ほど炎上文化が盛んでなかったのが救いですが、

当時のぼくの顔キャプやら歌唱音声持ってる人も多分いるんですよね…。 

 

 配信者となってからは様々な企画もやりました。記憶に残っているのだと、

・統一大会参戦(何かしら毎回改造が摘発される)

・一撃必殺RTA(一撃必殺技で10勝するまでのタイムを数人で競う。2chで燃えました)

・ジムリーダー企画

(数人の配信者でタイプ統一でのフレンド戦を行い、チャレンジャーには勝利するとバッジの贈呈が行われる)

僕はひこうタイプ担当だったと思います。

 

生主時代はいろいろと燃えましたが、最たる例がこれですね。懐かしい。

詳細は下記リンクをご参考ください。(登場人物・そらが僕です)

 

https://w.atwiki.jp/autumnaki/

 

もう8年前なんですねこれ。懐かしいな。

 

 

このころはSkypeでの交流が主で、グループチャット、通話も盛んに行われていました。

24時間以上誰かが常駐していたこともザラでしたね。

Skypeでの通話はユーザーが1人でも繋ぎっぱなしにしていると通話が継続するので、だれか1人でもオンライン状態を維持すれば通話が残る仕様でした)

 

この活動がHGSS~BW2後期くらいまで続きましたが、現実の自分の都合と、

ポケモンをXY~触らなくなってしまったので、twitterでの交流が主となりました。

 

前半はこんなところでしょうか。

後半も気が向いたら書きますね。

 

初人狼会主催開催後反省、メモ

つい前日の出来事ですが、初めての主催人狼会「ATM人狼会(仮)」を開催させて頂きました。

諸感想はすでにtwitterの方で少し触れましたが、次回開催の際の反省点備忘録といった立ち位置で、残しておきたいと感じましたので、今回は記事にする次第です。

 

 

 

 

 

開催の経緯

 

開催の経緯については、前回のイベントで所謂「パンドラ形式」の人狼ゲームレギュレーションを作らせて頂いたことに起因します。

もともと参加黎明期から特殊レギュレーションの会に参加させて頂いたことが多く、独特の世界観に多く触れるうち、作成したいと思うようになりました。

その後、新作を上演させて頂く会、として今回開催に至りました。

 

自分一人での開催は(気持ち的に)憚られてしまっており、お声かけしたアリナミンさんは二つ返事で協力して頂けました。

この場を借りて感謝を。ありがとうございます。

 

 

 

今回の反省点

 

大まかな反省点は下記にまとめられるかと思います。

 

・タイムスケジュール管理の問題

想定していた時間を大幅にオーバーし、予定していた特殊レギュレーションが不可能になってしまいました。大きな反省点だと感じています。後程下の方でも触れますが、複雑化しすぎるとこれはこれで処理が追いつかないかな…と。

 

 

・情報量と時間の問題

自分自身のGM習熟度の問題もそうですが、何よりやりたいことが多すぎて「詰め込み過ぎ」たと思います。

外側から見ていてバランスが悪かったなー、とは思ったのですが、その後の感想を聞く限りではバランスの問題でなく情報量と時間管理の面での指摘が多かったです。

 

・役職カードの説明不足・一部不備

この点も前回指摘はされていたので、今回はできるだけわかりやすく、事前配布にも努めたのですが、推理してほしい要素と情報量がミスマッチしており、特に全容の把握が難しかったのだと思います。簡潔に言うと「陣営的にどう動けばいいか」わかりづらかったのかな、と思います。

 

・主催者としての心構えの問題

これは同様に作成された方からご指摘いただいたのですが、「作成側は満足してはいけないが、それに対して卑屈になりすぎるのは良くない」とのことでした。一言一句違わずそうだと思います。自分の性格上の問題だとは思うんですが、概ね「楽しかった」という感想を頂けてるにも関わらず、自分のみが「バランスが…」「ここが…」と言ってしまうのは良くないなぁと感じました。頂いた指摘は受け入れる姿勢は勿論大事なんですが、自信を持って作りました、でいいのかなと。正直ここが一番の反省点かと思います。

 

 

それに伴う改善策

 

今後の改善策としては、下記のようなところを意識して考えたいと思います。

 

・自分と異なる考え方の意見を取り入れてみる

僕の中で「特殊レギュレーションなら絶対役職が欲しい!」というのと、「できるだけ長く楽しみたい」という思いが強くあり、実際この2点に対しては相当意識をして作成を行っています。ですが、伺った感想には「村人に値する役職で全貌を推理したい」、「追放(処刑)されても村の行く末を見るのが楽しい」というものも多くありました。

僕の考え方だと「ゲームを長く楽しんでもらう」が前提に来ていたんですが、どうも「ゲームを徒に長引かせてしまっている」ことにもなっていたことに気付けたのは収穫だと思います。特殊レギュレーションを特別なものと考え過ぎていたところもあるかと思います。

 

 

・簡潔でもおもしろいギミックを作る

前述の件もそうですが、「GMの負担を減らしながら面白いギミック」を作れれば良いと思いました。すごく難しいとは思いますが。考え方として「村に仕組みが分かりづらい難解なもの」を提供することで頭がいっぱいでしたが、「村の全員が理解でき、そこから推理が伸びるギミック」があれば陣営としての動きもやりやすいとは思います。

 

・長文の役職カードをあまり作らない

能力の理解度に個々人の差が出るのもそうですが、前述したように「複雑化して困るのはGMの自分」ということを頭に入れるべきだとは思いました。もちろん「やってほしいこと」、「推理してほしいこと」を念頭に入れるとそれなりの長文にはなるのですが、今回はあまりにも長い文章が多く、不備にもつながったと思います。

簡潔且つわかりやすく書く、ことを意識したいと思います。

 

 

おわりに

 

僕の備忘録になるので、読んでも大して面白くないと思いますが、感じたことを新鮮なまま残しておくことは非常に大事だと感じているので、今回まとまりのないままこうして文字に起こしています。

 

解散の際にもお話しさせてもらいましたが、コミュニティに入ったのが1年前にも関わらず、18人もの方に参加いただけたこと、また、「行きたいけど行けなかった」というお声を多数いただき、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。「真面目か」とも言われたんですが、こういったところを正直に表現するところから始めたいです。

 

突然お誘いした方もたくさんいらっしゃいましたが、概ね楽しかったです。

と言っていただけただけで、会としては失敗じゃなかったなと思っています。

次回開催は全くの未定ですが、その際は宜しくお願い致します。

 

 

 

 

遅すぎるフライボードレポ

このブログ自体も忘れ去るとこだったよ。

最近はてブなり増田なりを読んでて、やはり他人の文章は良いなと思って来たので、

今回もこうやって筆を執る次第である。

内容はまあ書きたかったやつです。

 

 

去年の夏のやつな。

 

 

 

 

  •  
  • なぜフライボードと化したのか
  • 能古島
  • 初、フライボード体験
  • 2種の詳しい解説
  • 帰路、感想
  •  
  •  

 

 

 

 

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かつて遭遇したやべー飲み物ランキング(俺調べ)

みなさんはファミレスに行ったときに飲み物を全部混ぜるクソガキやつを見たことはないだろうか?

かつて俺はそうだったので、何とも言えないがまあそのくらいには飲料探求心はあるわけです。

今でも友人の弟には「合成魔獣マスク・ド・ヘルレイザー」という名前で通っている。

 

 

 

 

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本家本元さん 久しぶりに見たけど仮面魔獣だし青眼より強いのね

 

まあそんなこんなで昔から意味わからない飲み物に首を突っ込むのが好きなわけで、

ランキングにしたら面白いんじゃない?ってことで書きます。

ちなみに飲み物耐性【大】くらいはあるからよろしくな。

(大学時代にペプシしそ味を愛飲していた)

 

 

やばくねえよっていうクレームは無しで頼むな。

あくまでも俺調べだから。

 

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初めての街コンレポ

多数?の要望を頂き、レポートに至るわけだがはじめに。

女性の容姿などには全く触れません。

勝手に書いてる以上それがマナーだと思いますんで。

現世が松本潤松坂桃李の顔面なら考えたけど、リアル柄本時生だからな。

(余談ですが柄本時生に似てる説はマジで、

最近家売るオンナに出てたの見て割と笑いました)


柄本さん、応援してます。

 

 

まあ読んでもらえるとわかるとは思うが、

金を払った身からすると街コンの程を為していないので、

収穫がなかったことより運営側に憤りを感じている。

例によって3500文字を超えることになりましたので、

【続きを読む】からお願いします。

 

 

 

途中メモ帳とかで書いた部分があるので、

文と文の間の空間がおかしいとこがあります。

 

 

 

 

 

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