ぼくとインターネットの変遷【前編】

もうインターネットの住人になって何年が立つのだろう。

世間一般で言うところの「オタク」が特別視されなくなってもう久しいが、

幼少時の自分は少なくとも同年代よりも遙かにスタートが早かったと思う。

今回は回顧録です。共感性羞恥の方にはちょっときついかもしれません。

僕が一番きついです

 

 

 

1.黎明期

義務教育も終わりに差し掛かろうとしていた年代に、僕はインターネットの扉を開けました。

当時は僕、「星のカービィ」が好きでして、入り口はそこからですね。

HP文化があったりなかったりしたので、

親父から渡された本を片手にhtmlをごっちゃごちゃな構成で打ちながら、

夏休みを潰して初めてのホームページを作りました。

 

インターネット老人会の諸兄には説明するまでもないですが、黎明期のHPにありがちな

・めっちゃ見づらい背景

キリ番

・カーソルになんかついてくる(邪魔)

・大爆音MIDI

と、当時のテンプレート通りの構成でした。

 

当初カービィクラスタ(という呼び名が正しいかどうかは別ですが)の中では、

オリジナルカービィ(オリカビ)を作成するのが流行っておりまして、

僕もその数少ないうちの1人でした。

(オリジナルのコピー能力とはまたジャンルが違うので、オタクは面倒ですね)

 

HNを「ドラカビ」と名乗っていたのもこのころです。

当時の記憶の残骸としていろいろ残っているものはあるのですが、

主にお絵かき掲示板に相互で書き込みをしあったり、

夜間にお絵かきチャットで駄弁るのが主な交流手段でした。

 

コンテンツ的には想像がつくのですが、

当時同クラスタ内の男性率は非常に少なかったです。

ほとんど女性だったと記憶しています。

著作権等もこの時代はガバガバで、SDXのドット素材なども、

「画面を見て打ち込めばセーフ」みたいな謎の風潮がありました。

(どう頑張っても任天堂の著作物なんですがね)

 

覚えている限りではそこそこの方と交流を持っていた記憶がありますが、

今でも連絡を取っている方はごく少数ですね。みなさん元気でしょうか。

当時の年賀状等も保管しているんですが、まあみんなHNで送り合ってましたね。

このころから「ネットの人に年賀状を送付する」ことに抵抗はなかったみたいです。

 

義務教育の終わりごろまで同クラスタでの活動を続けておりました。

後期には「†漆黒の騎士†」みたいなのが流行った影響もあり、

「霜月 空」と名乗って活動していました。つい最近までの「そら」名義の元です。

なんでこうなったかは覚えていないんですが、同時は時期も年代も“中二”病でしたから、

格好いい単語をさがしてできたのがこれだったと思います。

結局大学生のころまでカービィコンテンツは追っかけてはいたものの、

ネットでのメイン活動は別コンテンツへ移ることとなりました。

 

 

 

2.ニコニコ文化へ

義務教育を終えたころ、当時はポケモンがちょうど第4世代のころでして、

新しくできた友人からHGSSを勧められ、どっぷりはまることとなります。

 

このころは当時の2chのシベリア板に生息していました。

 

wikipedia:#シベリア超速報

 

当時のポケモンの第4世代は、wi-fiが普及し始めた世代ということもあり、

爆発的な勢いを誇っていました。

詳細な解説は差し控えますが、バトルシステムに大幅な改修が加えられ、

熱帯(ネット対戦)が急激に浸透した世代でもあります。

 

その頃は配信サイト等の普及も少なく、ひっそりと掲示板などでの交流がメインでしたが、

VIPが荒れていたのでシベリアを選択した気がします。

 

 

数か月経つと、インターネットでの生配信サイトへ活動の場所を移しました。

当時僕は「配信者」ではなかったのですが、様々な配信者の配信を視聴していました。

 

今ではあまり考えられないと思いますが、

休日には30前後の配信で「突発大会」なるものが行われていたのもザラで、

勉学そっちのけでバトルしていた記憶があります。

 

知り合いが増えたのもこのころです。

今でも仲良くさせていただいている人も多いと思います。これについては後程また。

 

当時は通常ではなく、「統一レギュレーション」での大会も多くあり、

所謂「統一勢」に身を置いておりました。

おそらくニコニコ生放送で配信をはじめたのもこのころだったと思います。

今ほど炎上文化が盛んでなかったのが救いですが、

当時のぼくの顔キャプやら歌唱音声持ってる人も多分いるんですよね…。 

 

 配信者となってからは様々な企画もやりました。記憶に残っているのだと、

・統一大会参戦(何かしら毎回改造が摘発される)

・一撃必殺RTA(一撃必殺技で10勝するまでのタイムを数人で競う。2chで燃えました)

・ジムリーダー企画

(数人の配信者でタイプ統一でのフレンド戦を行い、チャレンジャーには勝利するとバッジの贈呈が行われる)

僕はひこうタイプ担当だったと思います。

 

生主時代はいろいろと燃えましたが、最たる例がこれですね。懐かしい。

詳細は下記リンクをご参考ください。(登場人物・そらが僕です)

 

https://w.atwiki.jp/autumnaki/

 

もう8年前なんですねこれ。懐かしいな。

 

 

このころはSkypeでの交流が主で、グループチャット、通話も盛んに行われていました。

24時間以上誰かが常駐していたこともザラでしたね。

Skypeでの通話はユーザーが1人でも繋ぎっぱなしにしていると通話が継続するので、だれか1人でもオンライン状態を維持すれば通話が残る仕様でした)

 

この活動がHGSS~BW2後期くらいまで続きましたが、現実の自分の都合と、

ポケモンをXY~触らなくなってしまったので、twitterでの交流が主となりました。

 

前半はこんなところでしょうか。

後半も気が向いたら書きますね。